『絡新婦の理』 京極夏彦

絡新婦の理 絡新婦の理

だから僕は、言葉を紡ぐ。
赤石散人さんの解説で、京極夏彦がど偉い作品を書き上げた。

と語っているが、まさにそんな気分だ。

京極堂シリーズを今、出版順に読んでいるが、

この作品が、一番すごいと思う。

そして上手い。言葉を使わせたらかなわない。

もし魔術があるとしたら、それは言葉なんだろう。

この作品が本でなかったら、ページ数がなかったら、

いつ終わりがくるともわからない。

蜘蛛の糸に絡め取られ、そこから抜け出すようにページをめくるが

読むたびに、抜け出そうとするたびに

がんじがらめになってしまい、抜け出せなくなってしまう。

蜘蛛は、確かにいる。この本に潜んでいる。

言葉という糸を張り巡らせて、読者を待ち潜んでいる。

最初の数ページなら、まだ引き返せるが

三ケタほどのページ数を行けば、まあ引き返せない。

蜘蛛の糸は、全てを絡めとる。

これまでのシリーズで出てきた人物達が、この本で一斉に出てくる。

全ては偶然。だが、なるべくしてなったということなのか。

だけど、主役が台に登らなければ解決しえない。

いや、解決とはいかないのか。

いずれにせよ、彼が出てきてようやく終わるのだ。

蜘蛛は万能ではない。しかし蜘蛛は、聡明だ。

ラプラスの悪魔でなくとも、世界は揺らぐ。

ましてや、マクスウェルの魔ともなりえない。

あなたが――蜘蛛だったのですね
きっと読者が、この本を読んでどう考えるかなど

蜘蛛はお見通しだったかもしれない。

美しく、儚く物語りは終焉へといたる。

だとしたら、京極夏彦。彼こそ蜘蛛なのかもしれない。

気づけば四月。外では桜が咲き乱れている。

鮮やかな桜を連想させる、綺麗なラストシーンが

いつもの京極堂シリーズと少し違った印象をもたらせた。