だってオレが碁を打つのは― 『ヒカルの碁』 ほったゆみ 小畑健

ヒカルの碁 (15) ヒカルの碁

中学生くらいまでの僕のお金の使い道といったら漫画ばかりでした。

はい、漫画バカでございます。

ゲームするときも、テレビ見るときも、トイレの中でも漫画が手放せない。

雑誌も、コミックスも何十回と読み直し、

ボロボロになったのも少なくない。

そんな自分ですが、すっかり漫画を読まなくなってしまった。

もちろん好きな漫画は、いまだ買ってはいるが、

雑誌も買わなくなり、お気に入りの漫画たちの多くは、

実家に置いたままだったりする。

でも、やっぱり漫画好きの血は残っているのか

昨日は1日中、漫画。『ヒカルの碁』を読みふけていた。

僕は、囲碁のルールなんかまったくわからないけど

とっても好きな囲碁漫画。

対局とか勝ってるとか負けてるとか、わからないけど

雰囲気と、心理描写だけで、ひたすらに熱くなれる。

正直な話、僕にとってこの漫画が囲碁じゃなく

例えば将棋や、チェスとかでも良かったんだと思う。

ぶっちゃければ、こういう話ならば、何でも良かったかもしれない。

だけど、囲碁の話でこのような漫画が生まれた。

この漫画が流行った当時、

ちょっとした囲碁ブームが生まれたのは必然かもしれない。

それだけ熱い話で、飲み込まれてしまう。

それは、主人公に幽霊が憑りつくという現実未のない要素もあるけど

この話は、とっても現実的だからだ。

憧れて、夢を見て、追いかけていく。

そこに等しく才をたけたライバルがいる。

主人公の少年の成長譚、囲碁奇譚だったから。

そして何より、この現実未のない要素の幽霊がすごく良い。

主人公の少年ヒカルしか見えない、碁を打つことでしか存在できない。

遥か昔に存在した存在、佐為。

当時の僕は、この人が大好きで

途中突拍子もなく消えてしまったことが、すごい悲しかった。

だけどそれは、主人公が成長していくために必然だった別れで。

そいう別れは誰にだってある。

ただ、理解できなかった当時の自分だけど、今なら少しわかる気がする。

この辺は、上の画像から飛べる、

amazonのレビューの、ペテロニウスさんの記事が

すごいわかりやすいし、おもしろい。

こういう文章を書きたいものです。

だけど、それはやっぱり別れは訪れて欲しくないもので

きっとその後に、また会えるのならば手放して喜べるのだろう。

少年漫画は、少年のための漫画だけど

こうして成長した後で、振り返って読んでみると

ちょこっと違ったおもしろさと、当時と変わらないおもしろさがある。

だから漫画っておもしろいし、時々帰りたい場所なんだって思う。

遠い未来と遠い過去をつなげるために

そのためにオレはいるんだ

最終回に少年は、そう呟く。

遠い過去に存在した佐為は、もういない。

少年は、佐為が消えたとき、一度碁をやめている。

しかし気が付く、自分の囲碁の中にだけ佐為は生きていると。

その遠い過去の存在を、未来につなげるために囲碁を打つのだと。

それが、その碁を受け継いだ、少年の役目。

そして、何より少年自身の未来のために。

この道をずっと歩くと言った、神の一手は自分が極めると言ったその決意。

そうして、千年が二千年が積み重なってゆく。

あなたに呼びかけている。

僕らに呼びかけている声はあるんだろうか?

そう感じてしまった。