『となり町戦争』 三崎亜紀

 となり町戦争 となり町戦争

僕の趣味が読書だと言うと、多くの人に、

え~見えない~、 と言われる。

しまいには、漫画かエロイちょっと大人な本だとさえ言われるしまつ。

これが僕に対する、周囲の反応。

みなさんは、戦争については、どう反応するか。

僕なら、無関係の人々も、戦争に参加する人も、どんどん死んで、

国と国がお互いの利益や、憎しみのために、お偉いさんの判断で

街がどんどん廃墟とかし、人は苦しみ、銃が溢れ

さらには、核爆弾でも投下されるのではないかと考えてしまう。

この物語の主人公も、戦争というとそんな重苦しいように考えていた。

しかし、いっこうにそんな雰囲気はかもし出されない。

自分の描いている戦争と、行われているはずの戦争のギャップが

戦争のリアルを奪っていく。

ましてや、戦争というものも、自分の町と、となり町との戦争だ。

主人公は、となり町という戦時拠点の

偵察を命じられるけど、大したことはしていない。

戦時前のように、普通に会社にいってちょっと町の様子を見て

簡単な報告書をつくるだけ。

そこには、いつもと同じような風景しかない。

人は確実に死んでいるという現実があるのだが

そんな光景も見ることもなく、ただ日常は続く。

人が死んだ、殺されたの憎しみも町にはなく、人々は普通に生きている。

いったい戦争って何なのだろう?

僕も主人公も、ただただわからなく流されているだけだ。

そしていつの間にか、戦争は終わりを迎える。

間違いなく作者は、あえて戦争のリアルを描いていない。

戦争による答えなど出していない。

読んでいて、その答えを出さない様や文章から

何となく村上春樹を感じたが、他のブログの感想を読むと

そういう感想を持った人も少なくない。

簡単に答えなど、出さないぞと言いたいのか、

ある意味、不親切このうえないのだけど、

そういうケースもあるというような、何とも不思議な話だった。

これが、戦争なんですよ
主人公は、物語の終わりに最初で最後の戦争のリアルを感じる。

参加していないようで、戦争に参加していた、

主人公の、初めて感じたリアル。

僕らが、イラク戦争や、各地の紛争などをテレビから見ていたとしても

その戦争のリアルを感じないのは、当然だろうと、何気なく感じた。