「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲 」

映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲

風邪もようやく微熱まで落ち着いてきたけど、

まだまだ油断はできないのかな。

そんなこんなで、風邪引いている間は

暇な時間、映画を観ていた。

あまり頭を使いたくないので、アニメでと安易な発想をし

物色していたら、このオトナ帝国に目を留め、借りてみた。

クレヨンしんちゃんは、子供のころずっと見ていたけど、

映画でいうと、ヘンダーランドの大冒険以来、

ほとんど見ていなかった。

僕のクレヨンしんちゃんの映画のイメージは、

とにかく「言いようのない怖さ」というものがあった。

ハイグレ魔王と、ヘンダーランドくらいしか、

あまり覚えていないけど、笑えたが、恐ろしかった。

今回観た、オトナ帝国も、子供の頃見たら

きっと怖かったんだと思う。

オトナ達が、いつも見慣れていた人たちが、両親が、

まるで別の人間のように見えてしまう。

それは、とても恐ろしいことだ。

もちろん、しんちゃんのアニメらしい、

ギャグがあり、笑いがある。

でも、オトナがオトナでない序盤は、とても怖かった。

この映画で、オトナとコドモの決定的な違いは

オトナには、懐かしむべき過去をコドモより

圧倒的に多く持っていることだと思った。

当時、なんでもないと思えることだって

時がたてば、慈しむべき思い出に変わる。

だから、ひろしの回想シーンはとてつもなく泣ける。

だけど、コドモはいつだって未来ばかりを見ている。

見てて、羨ましくなるくらいに。

そんな気持ちが、オトナの心を動かしていく。

僕らの知っている、しんのすけは、

呆れるくらい、大人ぶっていたり、揚げ足を取ったり

憎らしい一面もあるけど、とてつもなく純粋だ。

口は悪いけど、誰よりも家族を大切にしている。

そして、親だって、コドモを家族を大切にしている。

ドラえもんの映画と違うのは、

家族がメインになるということなのかもしれない。

高度成長期にあたる昭和のノスタルジー

そんな懐かしい匂いの中で、物語は動いていく。

くそー!なんでこんなに懐かしいんだー!!!
と、ひろしは当時を懐かしみながらも、自分を取り戻し

オレは幸せだよ!

お前にも分けてやりたいくらいな!!!

と、今も大切にしていく。

全てにおいて、現代に失望しているわけではない。

しんのすけは、未来に向かう階段を

傷だらけになりながらも超高速で駆け上がる。

それは未来に生きるということは、幸せなことばかりでないし

傷を伴うこともあるとも感じたけど

それでも、しんのすけは、僕らのしんちゃんは語る。

大人になりたいから
オトナとコドモは、同じモノを見ていながら、

見ている世界が違うのかもしれない。

だから、オトナがコドモに教えるばかりでなく

オトナがコドモに教えられることだってあるんだと感じた。

クレヨンしんちゃんを、誰に進められるでもなく

自分から観ているという時点で、

僕も昔を懐かしがっていたんだろう。

でも、この映画は、そんなお手軽なものではない。

だからといって、決して昔を懐かしむことが

悪いことばかりと思わない。

振り返って、戒めになることもあるし、

こうやって、おもしろい映画を発掘することだってある。

過去は、懐かしく、居心地のいいものなのだ。

だから、時々帰りたくなる場所くらいで丁度良い。

あくまで、生きるのは現在でしかないのだから。