『山魔の如き嗤うもの』 三津田信三

山魔の如き嗤うもの (ミステリー・リーグ) 山魔の如き嗤うもの

初めて、自分がバイトしていた本屋以外で、

本を予約して買いました。どこにも売ってない~

シリーズ4作目。

インパクトでは1作目の『厭魅』が強かった。

ラスト間際の爆発的な引き込まれ方は前作の『首無』が凄かった。

でも、今回が個人的に一番面白かった。

民俗的要素のホラーは、若干弱めだったけど、

顔無し遺体、密室、童歌に見立てた殺人……

そしてタイトルにもある山魔という存在の謎。

がっちりと、がんじがらめに物語に心を乗っ取られた気分だった。

山魔といわれるとよくわからないけど、

物語中にあった山女朗という存在から、

「やまんば」のことでもあると思う。

何を隠そう、僕は子どもの頃怖いものベスト3に、

やまんばが入っていただろうくらい怖いものだった。

子ども心に紙芝居で見たやまんばのイメージが強烈だった。

忌み山の中で、ある人物が出会うこととなる人物。

山魔?、山女朗?、やまんば?、それともただの人?

ホラーとして迷い込んでいく物語が、

解決されたことは、僕にとって望ましく、カタルシスだった。

だけど、この物語は京極夏彦の紡ぐ物語のように

「この世には不思議なことなど何もないのだよ」

というわけにはいかず、常に不思議なことが付きまとってくる。

それこそ、物語中にもあった言葉の、

この世の全ての出来事を人間の理知だけで

解釈できると断じるのは、人としての驕りである。

ということが付きまとう。

僕も小さな頃から、無意識に似たようなことを思っていた。

いや、誰もがそんなことを思うんだろう。

だからお化けとか、妖怪、UFO、超能力などが話題になるんだと思う。

でも、実際にお目にかかれないから、どこか遠くのことと感じてしまう。

だからこそ、楽しめるということもあるんだけど。

ついでに、先ほどの言葉の続きとして

かといって安易に不可解な現象そのものを

受けいれてしまうのは、人として余りに情けない

だからこそ不可解な事件、ホラーを扱う

推理小説の主人公達が頼もしく見える。

シリーズ過去作品感想リンク

『厭魅の如き憑くもの』

『凶鳥の如き忌むもの』

『首無の如き祟るもの』