『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』 木村元彦

誇り―ドラガン・ストイコビッチの軌跡 (集英社文庫)誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡

愛知の大学に通っていながらも、グランパスは好きじゃなかった。

ドラゴンズ嫌いといったら問題だけど、

グランパス嫌いと言ってもあんまり、問題じゃなかった。

というか、ジュビロ好きで通していたから。

でも、ピクシーことストイコビッチは好きだった。

見ていてとても華があった。

敵ながらあっぱれとはこのこと。

今年は監督としてグランパスに降り立ったピクシー。

ほんの気まぐれに、昔好きだった選手の本を読んでみることにした。

この本は、サッカー選手ストイコビッチのことを書いてあるようで、

実は、祖国を愛するストイコビッチのことを書いてあるのかもしれない。

ユーゴのセルビアの一人間としてのドキュメントという趣が強い。

そういえば、去年読んだ『オシムの言葉』もこういう形だった。

よくよく見てみると、作者が同じだ。偶然なんかじゃない。

Jリーガーとしてのピクシーの記述は浅かったが、

それでも、ピクシーが日本を愛していたことが伝わってきた。

そして、それ以上に祖国を愛していることも。

当時のユーゴ、セルビアに関して僕が言えるようなことなど一つもない。

というか、言う資格なんてない。

まるで何も知らないと同じだから。

でも、これだけはわかる。

当時のセルビアの人たちにとってピクシーは英雄だったのだと。

これは、ピクシーが長く日本にいてくれたからそう思いたいだけかもしれない。

でも、あんなにファンタスティックな選手は、きっと愛されるはず。

日本にいてくれたから……と思うのは、

僕にも潜在的ナショナリズムが染み付いているのかもしれない。

いや、たぶん違う。

世界と比べ、日本という多少身近に感じられる距離にいたから、

愛着があるだけなのだろう。

僕には、ピクシーのような愛国心は持っていない。

教育基本法で、本当の愛国心が養われるかどうか知らないが、

日本という国に関心が薄いのは問題かもしれない。

でも、日本が分断するようなことがあれば心が痛む。

日本の中でいくつかのカテゴリに別れ、殺しあうことがあれば悲観する。

色々問題はあるけど、僕は日本が好き。

そのわけは、自分がいて、色んな出会ってきた人が大勢いて

多くのたどってきた場所があるから。

それだけで十分だと思うし、それ以上なんかないと思う。

好きな人たちが、そこで生きているから。

僕には、プライドなんて大層なものは持ち合わせていない。

でみ、さっき上げた多くのものが支えている。

稀代のファンタジスタ、妖精ストイコビッチを通じて、

あんまりサッカーと関係ないけど、色々なことを思った。

関連作品感想リンク

『オシムの言葉』