『つむじ風食堂の夜』 吉田篤弘

つむじ風食堂の夜  つむじ風食堂の夜

今日はとても風の強い一日で、

仕事場の社員出口には、とても冷たい風が吹いていた。

外はすっかり暗くなっていて、身も心も冷たい。

そのはずなんだけど、地面に落ちている落ち葉が、

クルクルと風に巻かれて、みごとなつむじを。

つむじ風とまではいかないものの、

ああ、そういえば昨晩読んだ本が、つむじ風だったなと思い出し、

寒空の中で寒いはずが、ほんのり温かかった。それは心が。

この本も、そういうほんのり温かい気持ちになる本。

物語は、とてもゆっくりで、大げさでもなく、ファンタジーでもなく、

だからといって現実のようなお話でもない。

ストーリーが際立つわけでもない。

ただ、自然と笑みがこぼれるような、遠い昔にどこかで見たような……

懐かしいようで、その実こんな話は初めてで、

ああ~、クラフト・エヴィングだな~ってそういう感想。

吉田篤弘という名前の作者だけど、もうお一方と共同で、

クラフト・エヴィング商會という名義で本を出している。

僕は、彼らが作る物語というか世界観が大好き。

つまりは、吉田篤弘という作者の世界が大好き。

ちっぽけで、他でもない〝ここ〟

本当かどうか知らないけど作者の故郷だという「月舟町」そこを舞台に、

多くの人が、多くの風が集まり、つむじ風となる交差点が現れる。

世界の果てまでどれくらい―というような話も好きだけど、

小さな〝ここ〟と定義した場所の小さな話も僕は好きだ。

いつでもいる場所で、いつでも帰ってくるところ。

だから、作者は故郷を舞台として物語を書いたんだと思う。

そう思ったのは、物語中の言葉で

宇宙がどうあっても、

やっぱりわたしはちっぽけなここがいいんです。

他でもないここです。

こはちゃんとここにありますもの。

消滅なんかしやしません。

わたしはいつだってここにいるし、

それでもって遠いところの知らない町や

人々のことを考えるのがまた愉しいんです

というものがあったからだ。

もしかして、作者はずっと〝ここ〟と呼ばれる場所で考えていた空想を、

僕達に向かって、語りかけているんじゃないかなとも思えた。