『坂口安吾 [ちくま日本文学009] (ちくま日本文学』 坂口安吾
へこんでた時は、ブルー・マンデーばかりリピートしていたが、
もう大丈夫。60マイルズ・アン・アワーでご機嫌。
僕は、イアン・カーティスのように23歳で人生を決めるつもりはない。
と思えば、クリスタルの和訳を見て、また沈んでしまう。
僕らはクリスタルのようなもの 簡単に砕けてしまう。
と、前置きに洋楽の話から、坂口安吾へと。
この本は、ゆっくり少しずつ読んでいたことと、
読み終えた後、人生最大級の不幸の津波が襲ってきたので、
あまり感想というものが、なかなか浮かんでこない。
ただ、暗かった、暗かったがエネルギーもあった。
このろくでもない世の中を生きてやるという気質を感じたのは、
この本に収録されている話が、エッセイのようなものが多かったからかもしれない。
詳しいことは、本当に覚えてない。
本も実家に持って帰ってしまったので、手元にない。
収録されているものは、ネットで調べられた。
まったく良い時代だ。
風博士/村のひと騒ぎ/FARCEに就て/石の思い/風と光と二十の私と
というラインナップ。
そして桜の森の満開の下。
だけど、今になって心に残っているのは、
たぶん、日本文化私観だと記憶しているけど、
日本のモノであったり文化が無くなっても、かまわない。
真に必要なら日本の伝統的な建築物なども壊して、
駐車場などに変えてしまえばいいなどというものだった。
僕らの生活が、日本人の生活が健康ならそれで良いというもの。
形あるものは、必ず崩れる。伝統は風化していく。
そこに永遠なんてものなどありはしない。
なんともありふれたことだけど、気分が落ちていくとそこに到達する。
だから、自分の生活に真に必要なら、既存のものを破壊して、
新たに創造したものからでも美が生まれる。
美しく飾り作られたものからでなく、実質としてのものから美が生まれるという。
なるほど、一理あるが、納得しきれないものとこもある。
だって、僕は古い伝統美も好きだから。
それに安吾の言い方だと、機能美という話に当たると思うから。
僕は、空虚でもそれ以外の美を信じたい。
入らないものからも生まれるものもあると思う。
普段必要なくても、ふと見つめてみると美しいものもある。
無駄なものこそが美しくもあることもある。
結局は、美しいと感じ取れるかの心の問題だと思う。