『輪違屋糸里 上・下』 浅田次郎

輪違屋糸里 上 輪違屋糸里 下

浅田次郎新撰組といえば、『壬生義士伝』が思い浮かぶ。

その作品では、これでもかという泣きの浅田を思い知らされた。

今回も新撰組が出てくるが、新撰組の周囲にいた女性の視点から描かれた、

男女の悲哀であり、時代の流れであり、生きるということの話。

様々な視点から描かれたこの物語は、感慨深い、

女性と男性との人生感のすれ違いや、

芸妓、商人、武士、百姓とそれぞれの立場からの

生きていくことへの一分みたいなものを感じられた。

三谷幸喜新撰組大河ドラマでのセリフで印象深い、

誰よりも武士らしくありたいと願った、

武士よりも武士らしくといった言葉が脳裏に浮かぶ。

芸妓には、全てを捨てて芸のために生きるということを感じる。

商人には、店を守りぬくということを。

とにかく色々な立場があり、こうありたいと思う願いがあり、

それぞれの葛藤やしがらみがある。

そういうものを交えながら、男と女の関係が様々に語られている。

これは、僕が男だからだと思うけど、

どうしても男の気持ちの方へとばかり感情移入してしまう。

それぞれの人物が違った方向へと思いを馳せているが、

どれも強く分かる気がする。

恋慕おおいに結構だが、やはり男の生き様が目を見張る。

特に芹沢鴨への多くの視点から語れるその人間性は、

どれもこれもが違っているだけに、複雑でいて

本当の姿がどうだったのか気になるばかりだった。

だけど、単なる悪人だったと思えないと作者は語りたかったのだと思う。

ある者は、悪人だと語るが、ある者は真の武士だと語る。

歴史の闇はやはり深い。