『さよなら妖精』 米澤穂信
哲学的意味がありますか?とりわけ、そんな言葉が胸に響く。
遠い国からやってきた、少女マーヤ。
そして、帰る場所を告げずに、故郷に帰ったマーヤを探すため、
思い出だけを頼りに、居場所を探すための、心の旅路。
時代は、1990年初頭。
彼女の故郷の、ユーゴは独立運動が盛んだった。
日本の文化、海外の文化や、日常のちょっとした謎に彩られ
彼女と主人公たちとの、
ちょっとした異文化交流を秘めた、青春小説になっている。
マーヤは、もともと帰る予定も決められているので、
別れは、あらかじめ約束されたものになっている。
それは、彼女も望むことなので、誰にも止められない。
帰るユーゴが、その時、どんな状況だとしても。
帰った後、彼女がユーゴのどこに居るのか、探す行為も、
わかったからと、どうなるというものでもない。
力の無さ、自分という存在価値、やるべきこと。
どうしようもない、やるせなさを受けながらも、
何かできることはないかと、追いかける姿は、
哀れで、哲学的どころか、なんの意味もなく感じるけど、
主人公にとって、とても大切なことなんだと思った。
本の帯には、
忘れ難い余韻を残す
出会いと祈りの物語と言葉が綴られている。
上に、僕は色々述べたけど、
まさに、この通りの出会い、そして祈りの物語。
そして、その余韻が、とても忘れられない。