僕の庭

最近、また本屋のバイトを始めたのだけど、

実は他にもバイトをやっている。

それは、花屋ではないが、花や庭木を売る仕事もあったりする。

男なのに花。

花は外で売っているので、学生の女の子は外仕事がキツイということで、

たいてい自分は、そこに仕事を任せられることが多い。

もちろん、花以外のものも売っているわけだが。

普段、花にさほど興味がない自分でも、

仕事を長く続ければ、花木に愛着がわく。

綺麗に並べ、水をやり、手入れをする。

まさに「枯れないように水をやろう」を地でやっているわけだ。

花や木は生きている。

そうなると、難しい部分も出てくる、わかってくる。

その中でも庭木の手入れに関しては、

なかなか大変だと感じることがある。

それについては、地元の思い出に行きつく。

ずっと、この仕事をしてるのに、

なぜか、今日だけ思いにふけた。

僕の実家は庭に、庭木を育てていた。

芝生もあった、花も育てていた。

そう言うと、大層な家に思われるかもしれないが、そうでもない。

はっきりいって、ド田舎なので土地だけは広い。

家の正面に芝生の庭が広がっていて、

その周りを色々な庭木が囲んでいた。

子供の頃、僕らは今思うほど、花や庭木を育てることに無頓着だった。

芝生があれば、遊び回るのが子供だろう。

僕らももれなく、そんな子供のうちの集団で、

スポーツだけが目的なら、公園や学校のグラウンドに行くのだが、

家でゲームしたりするなら僕の家で、

そしてついでに、ゴムボールで野球なんかをしたり

芝生の庭でサッカーをしたりしていた。

一応大きな石があったり、芝生から庭への段差があるので

その辺をゴールに見たてるのだが、

当然ボールは上手く跳びっこない。

鉢花くらいは避難させるのだが、

動かない家のトビラはボールでヘコム、

そして庭木にはボールがつっこんだ。

かなりの大きな庭木も多いし、

じいちゃんのものなので、長いこと育てたことに間違いはないだろう。

でも、僕らはそんなことおかまいなしだった。

でも、じいちゃんはそのことでは怒りもしなかった。

それどころか、たまに一緒に遊んでくれた。

今思うと、なんて心の広い人だと思う。

しかし、じいちゃんももういない。

今では、親父が引き継いでいる。

親父はじいちゃんが嫌いだ、嫌いだといいながらも、

なんだかんだ、上手くやっていたんだろう。

たまに実家に帰ると、

休日にはじいちゃんの生前にはほとんど手を貸さなかった。

芝生の手入れをしている。

庭木は、業者にまかせてるかどうかしらないが、

目だったボサボサもないので、手入れをしているんだろう。

今は、その庭でサッカーやるようなバカはいないが、

もし、僕がその家を継いで、家族でも持てたら、

せっかく育てたのにとブツブツ言いながらも、

ボールを庭木に突っ込ませようが、

寛大に一緒に遊んでやれるような親父になりたいと

どういうわけか思ってしまった。

やっぱり就職が目の先になって、感慨にふけているのか、

変なことを思いながらバイトをしていた夜だった。