『陰摩羅鬼の瑕』 京極夏彦

陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず) (講談社ノベルス) 陰摩羅鬼の瑕

このシリーズは純然なミステリーとはいえないと思う。

妖怪を引き合いに出し、謎めいた摩訶不思議な空間を作りだす、

作者の言霊ならぬ、文字霊。

妖怪、京極夏彦とでも考えようか。

分厚い蔵書の中にある、京極夏彦の世界。

最初に純然なミステリーと書いたけど、

じゃあ、純然なミステリーって何と聞かれると、

オーソドックッスなミステリーだよと応える。

じゃあ、オーソドックスなミステリーってと聞かれると、

説明がめんどくさくなってしまう。

ドラマも本も映画も観ない人には、大変めんどう。

観ている人にとっても、ミステリーの基本だとか、正当派だとか、

そんなこと人それぞれなのだろうけど、

なんとなくで僕たちは、どんなものかとわかるもの。

そう、わかるもの、わかるはずなのである。

だって、僕らは多少の違いはあれども、

同じような文化を生きて、同じような人がいる世の中にいるのだから。

感じることは、似たり寄ったりだったりする。

だから、多くの人が共感するベストセラーだったり、

大人気の音楽や映画が出てくるのだろう。

でも、そんな価値観の共有ができない人がいる。

皆が感じるものと、どこかずれが「瑕」がある人がいる。

大なり小なり、深いなり浅いなり、

僕にだってある、心に瑕がある。

ネタバレしてしまえば、そんな瑕の話だ。

妖怪もミステリーもない。

というより、いまいち両方今作では薄い。

誰にもわからないほどの、確認のしようがなかった瑕。

いや、するほどのことでもなかった、

大きすぎるからこそ見えない、

小さな瑕に彩られて見えない、

その瑕こそが一種のアートのような・・・

そして、このシリーズでそんな瑕を抱え込んでるのは関口。

だからこそ、誰より瑕に敏感なのかもしれない。

しばらくあんまり活躍していなかったのだが、

今回は準主役級の活躍、いや活躍ではないかもしれないが、

ようやく復活してきたなと、これまでの痛々しさを見ていると感じた。

だからといって、精神が回復していると思えないのだけど。

次の作品の『邪魅の雫』の裏表紙に、

「邪なことをすると――死ぬよ」

とのセリフが、今作の榎木津の、

「――おお、そこに人殺しがいる」

もなかなかに、キャッチーだったけど、

次作もなかなかに興味がそそられる。

さて、これからどうなっていくのだろう。