『蝉しぐれ』 藤沢周平

蝉しぐれ  蝉しぐれ

映画に感銘を受けて、遅ばせながらも原作を読了。

まず思ったのは、映画と小説の「蝉しぐれ」は、

同じものでありながら、別物ということ。

でも、作品から受ける、すがすがしさや郷愁、淡い恋は同じものだ。

映画は、恋や友情に焦点を当てたとすれば、

小説は、文四郎の成長記と言ったところか。

でも、まぎれもない初恋の淡い恋の物語であることは、

間違いない。

結局目指したものは、一緒だったのかもしれない。

小説版は、ライバルの犬飼、美しい未亡人、秘剣のことなど、

映画にないエピソードや、細かい裏側の背景や、

人々の思想がはっきりしていた。

映画では、駆け足すぎて消化不良の部分が、

くっきりとして現われている。

その分物語のおもしろさでは、小説の方が格段に上だと思う。

でも、映画版は、ふくとの恋がはっきり見えた。

小説の一文にもあったが、文四郎は、

ふくのことを忘れていた時もあったし、

妻を娶るのも、映画と違いふくに再会する前だ。

忘れようと、忘れ果てようとしても、

忘れられるものではございません

の名台詞が無かったのも、仕方ないか……

特に、映画の最高ともいえるシーンの荷台を押すシーンでは、

小説だと、文四郎の弟分の弟子も一緒というところは、残念。

というか興ざめした。

でも、この原作がなければ、映画は生まれなかったわけで、

この話を作った藤沢さんは、すごい人だと思う。

もちろん小説も、すごくおもしろい。

友情の部分も、映画よりそういうものを感じる場面は多いけど、

映画の方が短いが、伝わってくる。

俳優がアレだからか、多少クサイけど。

子どものころ遊んでた川で、

大人になってまた集まっているところとか。

まあ、ここは映像ありだから仕方ないけど。

映画は短い分、その一瞬の輝きは、目を見張るものがある。

蝉が短い命を泣き声に託し、その命を証明するように。

しかし小説は、言葉を巧に操り、

まるで魔術にかけたかのように、その世界へと誘う。

いい小説を読んでる時間は、何にも替えがたいほど素晴らしい。

小説と映画では、最後のふくとの別れも多少違う。

小説のように、ああやって行動で気持ちを示すと、

長く読んでいて感情移入した者としては、

多少報われた感もあり、うれしいが、

映画のように「好き」と一言も言わず、特別なこともなく

感傷に浸るかのように終わるのも良い。

ずっと忍んできた文四朗らしいと言えば、らしいかもしれない。

短い命をかき鳴らした蝉の声も、それを当たり前に思うと、

それがどんなに尊いことかも忘れてしまう。

そして気づいたときには、鳴いている蝉など、どこにもいない。

でも、また僕は「蝉しぐれ」のことを、思い出すだろう。

夏がきて、蝉が鳴きだすたびに、きっと。