『異邦人』 カミュ

異邦人 (新潮文庫)  異邦人

必ずしも、世界の常識が、個人の常識とは限らない。

でも、健全であるために、多くの人が演技をしたり仮面を被ったりする。

そうすることが、ごく自然だけど、そうではない者がいる。

不器用というか、正直というか。

読み終えて、そんな風に思った『異邦人』を、

カミュなんて名前くらいしか知らないよな、kakasiがお送り致します。

冒頭のママンが死んだの部分から、

正直、主人公のムルソーを理解し難かった。

ただ、それは自分の良心内のことで、

その枷から外れれば、わからないでもない。

そんな主人公の行動を、淡々と冷静に描いているこの『異邦人』

この本は、不条理文学と、謳われている。

確かに、裁判シーンは不条理に思えた。

ついでに、本の裏表紙が完全ネタバレだったのも不条理。

そこは置いといて、とにかく不条理な所はあった。

でも、それ以外は自業自得としか思えない。

海外の人物の文化や風習を理解できないと同じように感じた。

郷に入っては郷に従えということなのだ。

そう考えていたら、その郷に・・・ということ自体、不条理とも思えた。

つまりは、異邦人という存在自体が不条理と。

国ではなく、社会にから見ての異邦人だったのではないか。

世の中と、わかりあえない存在の、悲劇を書いているように感じた。

なぜなら、社会のルールや価値観が、ちょっとズレるだけで、

とても可笑しなものにも感じられるから。

はみ出し者の異邦人でも、ムルソーは、まるで悲観的でない。

そこで、ああやっぱり普通と違うと感じられたし、

殺人動機を『太陽のせい』なんて言えない。

そういう部分は、ある種の反骨精神のようにも見えたし、

パンクの精神のようにも感じた。

ムルソーは、論理的な一貫性が欠けていても、

自分の心に正直だっただろう。

今日はおまけで、B'zの松本さんとZARDによる「異邦人」

坂井泉さん追悼。