『書を捨てよ、町へ出よう』 寺山修司

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫) 書を捨てよ、町へ出よう

二年ほど前、『新・書を捨てよ、町へ出よう』を買ったが、

いわゆる積み本になっていて読んでいなかった。

それなのに、こっちは買ってすぐ読み始めた。

一度に複数本を買ってしまうと積み本になってしまう。

当たり前だが、本は読みたいと思った時が最も読書行動に繋がるという。

良い書店も、図書館も僕の周りからなくなってしまった今、

僕の読書への意識が薄くなってしまったのも確か。

読みたいと思っても、本がない。

本を得るために、山を登り下り、町へ出ないといけない。

通販という手もあるけど、

書店でブラブラしている、ブラウジングが好きな自分としては……

話が逸れてしまったけど、『書を捨てよ、町へ出よう』

タイトルや中身の、きみもヤクザになれるという項目から、

かなりハードな内容になっていると思いきや、そうでもない。

感じたことは、想像することや、故郷のこと、一点豪華主義的のこと。

特に想像することについては、文中にあった、

あいている目は現実しか見ないが、

潰れている目は幻までも見るんだ。

という言葉が、強く印象強かった。

初感としては、アニメのカウボーイ・ビバップのセリフでも

似たようなものがあったなという思いが浮かんだけど、

現実を見ることは大切だが、現実だけ見ていては面白みがない。

そんなことを後々思った。

仕事を始めて、理想を追っかけてはいるが、

自分の目の前の現実が、圧倒的な壁となってくることがある。

潰れそうになるし、逃げ出したくもなることだってある。

でも、夢とまではいかないが、目標を持ってるだけで、

以外となんとかなることもある。

今回の想像することは、そういうことではないが、

そういうこともあるという。

そして全体としての感想は、

一点豪華主義のことに一番近いものを感じた。

全てが平均的より、何か一つでも特化させるということ。

人の個性とか、能力とかじゃなくて、

生活していくうえで、全てを普通に過ごすのでなく、

一部にお金をかけて、楽しむということ。

一部を削ってでも、自分の好きなことを楽しんで、

毎日を楽しく生きて生きたいなと感じた。