『キャッチャー・イン・ザ・ライ』J.Dサリンジャー 村上春樹訳

キャッチャー・イン・ザ・ライ キャッチャー・イン・ザ・ライ

『The Catcher in the Rye』

そう、あのライ麦畑でつかまえてをようやく読みました。

昔、野崎版の翻訳を読んだのだけど、すぐに挫折。

村上版は、とても読みやすかった。

まあ、昔と今では立場が違うってこともあるけど。

この本を読み終わり、すごい似ていると感じた。

昔、村上春樹が書いた『海辺にカフカ』に。

そして同じことを感じた。

僕はもっと前に、この本を読まないといけなかったんじゃないかと。

基本的に物語は、特にこれといったものもないし、

目的地がはっきりしているわけでもない。

ただ、主人公が、少年が、ホールデンが苦しんでいる。

僕らが感じたような同じ痛みを、持っている。

自分だけが周りと違うという、なかば思い込みにも似た思い。

やや、お金持ちということもあり、

ボンボンの意気地なしとも印象を受けたが

基本的にはそこらにいる若者だ。

それに加え彼は、ある程度自分を確立している。

頭ではわかっているが、世の中全部気に入らない。

それを受け入れることができない。

ホールデンは、なまじ頭がいいだけに余計に考えてしまう。

その割には、高校で成績不振で退学ばかりくり返すが、

これは単にやる気の問題。

自分だけ悟ったように思い込み、冷めている。

大切なものはあるが、理解はされない。

村上春樹の小説ととても似ている。

訳したのが村上春樹ということもあり

その文体からの影響もあるだろうが、

僕が読んできた、村上春樹の小説だった。

もっとタフにならなきゃいけないし、

誰にも頼らず、自分の力で生きなければならない。

死んだ弟のアリーのことは忘れてはいけないし、

今でも大好きでいなければならない。

あらゆるルールと戦っているんだと、僕は感じた。

心からなりたいものは、

ライ麦畑で崖に落ちそうな子どもをキャッチする

ライ麦畑のキャッチャーくらい。

そうホールデンは語る。

そんなこと、バカバカしいことだと誰もが思う。

普通に生きて、仕事して、結婚するより

まったく意味などないかもしれないし、金にもならない

第一、そんなに崖に落ちる子どもは現われない。

だけど、なんとなく言いたいことがわかる気がする。

ホントになんとなくだけど。

どうでもいいことに限って、本気になることだって多いし。

そうやって、悩んで苦しむんだろうけど

きっとホールデンだって、ちょっと変かもしれないけど

普通の大人へと成長していくんじゃないかと僕は思った。

だって、僕らはそうやって誰もが大人になっていくから。

悲しいけど、そういうものだって頭では思う。

自分と同じ人間などいないけど、似たような人もいるんだって

知ることになるのだと思う。

だって、本当に頭の良い少年だから。

そして、あんなことがあったって懐かしく思うんだろう。