『シュレーディンガーの猫―パラドックスを生きる』 小倉千加子

シュレーディンガーの猫―パラドックスを生きるシュレーディンガーの猫―パラドックスを生きる

タイトルだけで、なんとなく読み進めたのだけど、

かなりイメージと違い、女性観でいっぱいのエッセイ集だった。

女性学、心理学、社会学という印象を受けた。

男の視点から見ると、手痛いなと感じるけど、

わからないでもない。

わからないでも、ないというのは、

そういうところも、なくはないからだ。

だけど、それが絶対だなんて思えないし、

そんな人ばかりでない。

それこそステレオタイプな意見だとも思える。

だけど、やっぱりそういう部分もあるのだ。

誰にだって、矛盾する気持ちが自分の中で渦巻いているはず。

そういう意味では、多くの人が

心の中でパラドックスを抱いているのだろう。

そうそうわかるはずなんかない。わかってたまるか。

とはいえ、そんなわかりっこないことを考えていくことが

僕は、けっこう好きだったりする。

答えなんかなくたって、考え続けることが意義があると思う。

それと、気になった部分があった。

男は、「一次愛」つまり母なる愛を、

大人になってから埋めるためには、

ママさんのいる酒場に行けばいいが、

女性には、そういう場所がない、と言う。

母のようなオフジェが存在していないと。

それを埋めるため、対象を持てばいいと言っていた。

その中にあったのが、ペット。

それは、完全なる愛玩用のオブジェだという。

正直、それは男にだってわかるし、確かに心の隙間を

埋めてくれるのに、最適だと思う。

でも、生き物を飼うということは、

そんな、勝手な理由であってはいけないと思う。

今日、動物たちがひどい目にあっている現実を見せられた。

動物への非道な実験、虐待、捨てられたペット。

駅前でそんな資料が展示されていて、

小さな子供から、若い学生、老人まで

みんなが、それぞれの思いで、写真を眺めていた。

動物への実験で、人間への技術は生まれるだろう。

ペットを飼うことで、人間の心は満たされるだろう。

動物は、言葉を語らない。

人間に、動物の気持ちはわからない。

人間でも、動物でも、生き物と接するなら

最低限のマナーくらい守って欲しいと感じた。

そして、それがわからない人達が、確かに存在している。

だけど、僕らはずっと昔から動物へ、

自分達が生きるために、彼らを殺して食べている。

ペットを捨てることに関しては、

それ相応の理由があった人もいるだろう。

そう考えてしまう僕には、

ただ非難することはできないかもしれない。

生きていくうえで、そんな心の矛盾が付いて回る。

ずっと罪を抱えながらも、少しでも優しくなりたい。

偽善者と罵られたとしても、

優しい気持ちを持てる人たちがいて欲しい。

そして、僕もそうありたい